親や指導者(監督・コーチ)の限界線

野球の指導者として活動し始めて以来、今年で10年が経ちました。
節目を迎えて、自分の指導を省み整理する意味で「親や指導者(監督・コーチ)の限界線」と題して私の指導哲学について書きたいと思います。

(哲学的なことが苦手という方は読み飛ばすことをおススメ致します…)

 

人は生きる中で超えてはいけない一線というモノがあります。

それは「法」という形のモノもあり、「良心」という形のモノもあり、「常識」という形のモノもあり、また「理(ことわり)」という形のモノもあります。

野球の指導現場にも、当然、超えてはいけない一線があるわけです。

私はそれを「限界線」と定義しました。

「限界」という言葉はスポーツ界ではネガティブというかタブーともされる言葉で、「限界突破」などと壊さないといけないモノであるようなイメージがあります。

しかし、指導に関しては限界を超えてしまうと上手くいきません。

指導の限界を分かって線を引くことが出来ているのかどうか、その一線を越えていないのか、あるいは超えようとはしていないのか、常々省みる必要があると私は思います。

 

さて、指導の「限界線」とはどういうことを指すのか説明したいと思います。

 

子どもを育てた経験のある方は1度は聞いたことがあるかもしれません。

「ご飯を口まで持っていってあげることはできる。でも口を開けてご飯を口の中に入れ、噛んで、飲み込むことは自分がしなければならない。」

これが親の子に対する「限界線」です。

 

ご飯を口まで持っていって口を開かない場合はどうしますか?

子どもの口を無理やりこじ開けますか?

ご飯を何とか口の中に入れたが、噛まない場合はどうしますか?

子どもの顎をつかんで上下に動かしますか?

ご飯を何とか噛ませたが、飲み込まない場合はどうしますか?

・・・

 

「限界線」を超えてしまえば、それは横暴な行為となるでしょう。

 

野球の指導においても同じです。

指導者(監督・コーチ)は練習方法を教えてあげ、練習時間には一緒に付き添ってあげ、家で毎日練習するようにと説くことは精一杯します。

しかし、その教えの通りにやるかやらないかは自分次第です。

ああだこうだと一挙手一投足指摘し、手取り足取りやってあげ、挙句の果てにはやっているかどうか見張り番のようなことをしていないのか、親や指導者は省みる必要があると思います。

 

 

とは言うものの、指導をしながらもどかしく感じることが多いのも事実です。

教えてあげてもやらない…

同じことを繰り返し言ってもできない…

そうなれば感情が爆発して、ついには限界線を越えて指導を行なってしまう場合も正直あると思います。

そこで大切なことは①待つこと②方法を変えることです。

待つという行為は子どもの自主性を生みます。

時間が長くかかるように思いますが、実はその方が成長が早いです。

親や指導者は本当に忍耐強くなければならないと感じます。

ひと言口を出したくなる時に待てるかどうか、そこに私も日々挑戦しております。

 

また、上手くいかない時には方法を変えることが大切です。

目的に到達できるならばその過程は多種多様であって然るべきだと思います。

例えば、インサイドアウトのスイングを身に付けさせたい。

そのためにはネットの近くで素振りをする方法もあれば、ボールの内側を打って逆方向に打つ方法もあれば、身体をわざと開いて正面に強く打つ方法もあれば、多種多様な方法があります。

その子どもにどの方法が合うかは分かりませんが、上手くいかない時には方法を変えながら指導していくと上手くいくように思います。

 

最後に、フードバック依存症というモノがあります。

「待つこと」が重要である一番大きな理由はこれだと私は思います。

フィードバックとは結果を返すということなのですが、アドバイスを送ることもここに含まれるように思います。

依存症という名の通り、結果に依存する、アドバイスに依存するということです。

よく監督の顔色をうかがい、親の顔色をうかがうシーンを目にすると思います。

これは子どもたちが何かアクションを起こした時、監督や親の結果を返す言葉やアドバイスに依存しているためであると思われます。

 

例えば打席で空振りしたとします。

監督がもっと早くタイミングを取れ!と言います。

また空振りしました。

今度は監督が今のは早すぎた、もう少し引き付けろ!と言います。

それが続くとどうなるでしょうか?

ランナーがいてもいなくても、何かアクションをする度にいちいち監督の方を向くようになります。

サインがないような状況でも、です。

これがフィードバック依存症です。

 

依存症は意志の弱さではなく、脳が過剰に反応してしまうことです。

フィードバックに依存すれば、フィードバックがないと不安感に襲われます。

フィードバックがないとどうすれば良いのか分からなくなってしまいます。

そうしてプレーに集中するのではなく監督や親の顔色をうかがう子どもになっていきます。

このような現象が実際に起こっています…

 

ではフィードバックはどのようにすると良いのでしょうか?

それは適時・適度にすることです。

これが指導の真髄であり、指導者の真の力量だと私は考えます。

 

「見ていないようで見ている」

子たちにそう思われるのがベストでしょう。

もちろん言うべき時には言いますが、見守り自分たちでやらせることはやらせます。

 

長くなりましたが、選手の自主性を促し「待つ」忍耐力と多種多様な方法で選手を教える引き出しの多さ、そして適時・適度のフィードバック、この3つを兼ね備えた指導を目指して、私は今日も努力していきます。