「上手くなりたい!」
「もっと速いボールが投げたい!」
「もっと遠くに飛ばしたい!」
「強くなりたい!」
そう口にする選手たちが多くいます。
しかし、そのような選手たちにその方法を教えてあげても不思議とやりません。
これは指導をしながら感じる選手たちの一番大きな矛盾です。
上手くなりたいならば、それ相応の練習が必要です。
望むものがあるならば、それに対する代価を支払うことは当然のことではないでしょうか?
おいしいご飯を食べようと思うならば、良い車に乗ろうと思うならば、良い家に住もうと思うならば、すべて良いものを手に入れようと思うならば、それに必要なお金を支払わなければなりません。
野球においても、同様です。
人より秀でたプレーを望むのであれば、その分だけ練習しなければなりません。
楽して得ようとする考えは間違っています。
もちろんより効率的かつ合理的な方法もあるでしょう。
仮にそのような方法だとしても、自分がその方法を実践する分だけ得られます。
練習が負担に感じられることがあるならば、その考えを改めるべきでしょう。
自分は何を望み、また自分は何を得ようとしているのかを考え、そこに必要な労苦を厭わないことです。
(当たり前のことですが…)
いずれにせよ、自分が上を目指して野球をやるならば、練習を負担に思うことがあってはならないということを肝に銘じてほしいです。
登山家たちはどんな労苦も厭わずに山頂を目指します。
その頂きにある景色を見るためです。
頂上に立てば、全ての労苦が吹き飛びます。
野球も同じです。
自分が目指す地点に辿り着けるまで努力してみてください。
その境地に達して、甲斐を感じてみてください。
「練習が負担だった」などという愚かな考えは微塵も浮かばないことでしょう。