耐性(たいせい)とは「 環境の変化に対して適応していく生物の能力。『デジタル大辞泉(小学館)』」のことです。
タイトルを見ると少し難しい話のように聞こえるかもしれませんが、易しく言えば、環境の変化に強い人が成功するという話です。
私が野球をしながら多くの経験を経てきましたが、結局何が残ったか?と問われれば、この「耐性が高まった」ということを胸を張って言いたいです。
雨にも負けず…というような根性論的な話をすると、「昭和の考え方だ!」と批判の声が上がりそうですが、野球は相手との戦いの中に環境との戦いが含まれるスポーツです。
多少の雨でも、ある程度寒くても、野球の試合は行なわれます。
どんな環境・状況下に置かれても自分の本来の実力を発揮しなければなりません。
~~
私は小学4年生の時に野球を始めたのですが、一番最初に出場した試合のことを今でも鮮明に覚えています。
その試合の2回途中から雨が降ってきました。
私はサードを守っていたのですが、1塁への送球でボールが滑って暴投したことを覚えています。
また、バットが滑り、力が上手く入れられず、高めの球を空振り・三振に終わったことを覚えています。
(その試合は3回に土砂降りで雨天コールドとなりました。)
雨の中なぜ試合を続けるのか?と思ったことがありますよね…
しかし、環境についてあのようにこのように言い出してしまうと、野球はいつできるのでしょうか?
寒い日を避け、暑い日を避け、雪の日を避け、雨の日を避け、風の強い日を避け、乾燥する日を避け、湿度の高い日を避け…
避けて野球が出来るでしょうか?
絶好の野球日和だ!と思える日は年に数日でしょう…
環境の変化に適応する能力が高ければ、全て関係ないと言って思う存分試合をすることができます!
これを根性だと言うことに対して、私は反対です。
耐性を高めていくことで環境の問題を超越して物事を成していくことができたらどれほど良いことでしょうか?
注)もちろん限度があります。
近年、真夏の気温は体温を超えることがあります。
そのような場合には練習も試合も避け、早朝や日が落ちてから行なうことが知恵でしょう。
もう一つ、私が韓国のリトルリーグで指導していた際の話です。
11月末に試合がありました。
その日は雪がちらついていました。
気温は一桁、手がかじかんで投打に非常に苦戦しました。
試合の結果は、「負け」でした。
何に負けたでしょうか?
環境に負けたのでした。
終わった後のミーティングで話しました。
「手がかじかみ、力が入らないという状況は相手も同じ。
環境によってどちらかが有利・不利ということはない。
そこでどうするのか?どうしたらよかったのか?
カイロを使う、着込む、動き続ける、さする、手段はいくらでもある。
環境を絶対に言い訳にしてはいけない。
今回のことを教訓にして次は環境には必ず勝とう!」
~~
さて、スポーツは、野球のみならず、耐性を高めることができるモノだと思います。
私はここにスポーツの価値を大きく見出します。
多少の環境の変化にも適応していく能力は社会生活の様々な場面で生きてくることでしょう。
雨の日、野球から帰ってきて泥まみれのユニフォームを洗濯する保護者様のご労苦は絶対に無駄ではないと私は信じて止みません。
選手たちが強く育ってほしいという願いは皆様がお持ちだと思います。
強く育つとはどういうことでしょうか?
耐性が高いということではないでしょうか。
耐性を高めること、環境の変化に適応できる選手の育成のために、今日も尽力致します。